銀座

久々に銀座のクラブで飲んだ。いやー1時間で5万ですよホントに怖い。凄いよね。そんな時給で未だに働いたことはない。祇園でも3万の店しか行った事が無かったので、ううむと言う。まぁ全額払った訳では無いのだが。そう言う世界がある。
しかしそこから徒歩5分に吉野家があってモリモリ食べてるサラリーマンがある訳で、本当の高級とは一体なんなのかと。でも5万のウイスキーよりも300円の牛丼だよなと思う。そう言う金銭感覚が正しいのか貧しいかは未だに分からない。
そんな事を思いながら部長をタクシーで送り出して僕は地下鉄に乗り込む。視界に空は無いのだが片道264円だ。色んな人がスマホを叩いている。どうせ俺みたいに世間を知ったかぶりして呟いているのだ。自分の呟きすら見返さないのに。そう言う悲しい言葉たちがクラウドの中で蠢いていて、捨てたくても捨てられない。遺すとはなんだろうと思っている。
今日は偶然洗えるスーツとコートで出社していたので、タバコの匂いすら東京湾に洗い流して僕は寝るのだろう。そう思いながらもまた陽が暮れるアー

またクソ酔い始めた

ハッキリ言うが育休に拘らず人間と言うのは休みを取りたい訳で、なんだか緊急事態の休暇取得可否みたいな事で世間が盛り上がってるけど違う訳である。なら3歳児を育てている奥さんの為に今日は俺が1日面倒みるからどっか友達とディズニーでも行ってきな、なんなら1人で旅行行ってもいいよ的なイクメンは演じる隙も与えない現代社会において、一身にストレスを受け止め続けなければならない夫については社会は冷たいのである。片や心の乱れで犯罪を犯せば社会から抹殺され、家庭ではエモーショナルな対応に苦笑いしながら文句も言わずケアに勤しみ、会社では上から下から外から中からの重圧の中で給料を死守する日本のサラリーマンは、たまに飲んで帰るとお前は自由だなどとまた家から揶揄されるのである。どうしたものなのだろう。
この社会を作ったおっさんが悪いと言われればまぁそのとおりなのだろう。とうとうその立場に来て、社会的には意見も出てきていいのだが、フローレンスの代表みたく、細目でカッコ良く慶應の風を吹かせながら有休まで行き着かない。寧ろ一斉有休取得奨励日に嫁との外食をリスケして会社に出社などすると言うある意味エリートサラリーマンなのである。
そんな訳で永谷園のお茶漬けを飲んでいたら少しずつなに下らないことでブログを書いているんだ、お前は早く寝ろ的なもう1人の自分に出会い始めた。小石川にあるQB HOUSEのようにコレスポンダンスな状況が目の前に広がりつつあるところで今日もmousseオープンです。

酔った時の備忘録

このブログのエントリー後半はいつも尻切れトンボだなぁと自分でも思う事が多い。まぁ何も考えず勢いだけで書き始めるあたりに大きな原因があるのだが、もう少し言うとこれは会社からの帰りや誰かの待ち合わせ、移動時間に書いている事が多く、よってどこかに着いてしまったから慌てて文章を終わらせているためなのである。ならちゃんと腰据えて書けよという事なのだがまぁそうはならないことは現代社会にいる皆様ならお分かりの事だろう。
問題は酔っ払って書き始めた時であり、これがまたなんと言うか筆が進みまくると言うか、逆にこだわり過ぎて家の前に着いてるにもかかわらず書ききらないから家に入ろうとしないなど、ややこしい事案も起こるのである。そんな訳でそろそろもうお休みの時間になりましたのでシャットダウンオーケー。

内幸町のルンペン

西新橋交差点、三田線内幸町近くのフォルクスの横に、昔閉じた喫茶店らしき場所があり、いつもそのシャッターの前には腰を折り曲げながらじっと同じ場所に立ち続けるルンペンがいた。いた、と過去形なのはこの間ふとそこへ行くと花が手向けられていたからだ。彼はもうこの世から居なくなってしまった。
彼に気付いたのは夏頃。近くの得意先へ毎日通う事になり、新橋駅方面から西新橋へ歩いて行くと悪臭が漂ってくるのだ。そこを通るには常に呼吸を止めなければいけない。何か壊死した様な臭いが漂っていた。
ただ、不思議な事に近くの店も、閉じた店の所有者も何も言わない。またはいくら言ってもそこに戻ってくるのか。真夏のくだらない暑さも、気付けば木枯らしとともに冬となり、街の騒めきとともに年が明け、2月になってもそこに立ち続けていた。
腰を折り曲げる、と書いたがどちらかと言うと背中から曲がっていた。病気だったのだろうか。逆U字に立ちながら、そこを行き交う何万の人を、その足音だけ聞いていたのだ。いつしかその逆U字が当たり前のオブジェのような、永遠に続く光景に思えて、息を止めるのもそれは必然の、単なるリズムなのだと思って過ごしていたが、ふと、その沢山手向けられた花々や、置かれているタバコ、ジュース。それらを見ると涙が流れてきて、その日はそのまま街で1人で飲んだ。毎日に入り込んで、そこを支配し、ふといなくなると言うこと。全ては永遠ではないのだった。

JUDY AND MARY

何かの忘れ物を探すようにユーチューブを漁っていたら、誰かのジュディマリのマイリストに引っかかった。「Blue Tears」から「DAYDREAM」の流れは特にヤバく、プールの中で制服姿の4人が歌う「ドキドキ」なんかも全くもって青春ソングであり、僕は当時ロリータバンドを積極的に買うには若すぎたからか1枚も彼女らのCDは持っていなかったのだが、慌ててDVDをポチってしまった。我が家の僕以外は完全にJAM嫌いなので深夜に1人暗闇の中でしか流せないのだが、これがまた逆に浸れて快楽の渦を体感する毎日である。取り敢えず再評価中である。こういうのは少し前にNOKKOなどで起きた現象であり、これからも繰り返すのであろう。但し問題はコンテンツの先細りであり、それは僕の活動自体が狭い世界に根ざしているという事、もっと言うと音楽を聴いていない事で起こるおっさん現象である。豊かな生活。
もっと何かを書こうと思ったが眠すぎて書けない。なぜこの時間に書き始めようと思ったのか。たまに夢が見えてきた。

みんなで飲んだ

今日はもう本当に、いつ飲めるか分からないみんなと飲んだ。子供が出来るとみんな飲酒に嫁の承認行為が発生し、次飲むからと断った時に一生飲めないかも知れない状況が続くのである。男性社会の中の頂点にある営業と言う職種において、これは存在意義を問われる大きな事態であり、そんなん無くてもモノ売れればええやろと言うまぁそれはそれで一つの正論なのだが、それは全くあり得ない何かなのである。この様な社会を寛容としないところにこの世の矛盾があろうか。どうでもいいが飲みたいのであり、断る者が悪なのだと今回判明したが、さてどうするのかと言うワクチンは未だに確認できていない状態である。
さて、どうお待ちかねのチンコビンタに話を持っていくのかであるが、特に誘導ネタは無いのであり、花太郎に本日も大敗する風俗店の気持ちで本日が終わる。ありがとう、いい薬です。

つぶグミ

まぁみんなも気づいてるとは思うがつぶグミはヤバい。圧倒的な質量とコストパフォーマンスである。先に伝えておくが今電気を1つもつけない真っ暗闇の部屋の中でNHK NEWS WEBを観るかはてなブロガーとしての地位の確立にまた一歩二歩と近づくかを天秤にかけながらお伝えしている。あと圧倒的に日本酒に手を出してしまい今の自分を例えるなら息子のことが忘れられない清原の様な状況だ。みんなクスリともしないのならこちらにも考えがあるぞ!とか言いながら意外と漢字の変換ミスなども無いので冷静なのかもしれない。
兎に角つぶグミは画期的であり最近静かなムーブメントを起こしている。なんたって100均で手に入るのは勿論、各種コンビニやスーパーでもその名を轟かせているのだ。製造コストが安いのだろうか。味も香りも堪らなく昭和のグミである。果汁グミが出た頃にうわ、何コレ明治すごい!みたいな感覚を覚えたが、それまで食べていたグミみたいな味である。ビフォーであり、富山に旅に行った時自販機からビワのキャラメルが出てきて外気の暑さでオブラートがベトベトになっておりこれ食品衛生法上問題無いのかと思って食べたそれの味である。次の日にはその機械は撤去されたが、恵方巻きの問題と同じくそのビワキャラメルが何処へ行ったのかは一消費者にとって知る由もない。
兎に角このつぶグミはみんなもっと騒いでもいいと思う。黄色だから酸っぱい、青いからソーダの香りづけ、みたいな日本の駄菓子的な発想が根付いている。ここが形状の似ているポイフルとは違うわけだ。
そう言えばポイフルと言えば僕が小学校のとき好きだった女の子が教育大附属中学に行ってしまったのだがその日は雨で自転車で帰れなくなり偶然に北大路で同じバスに乗りこんできた時に余りの急な再会に気が動転してとっさに「ポイフル食べる?」とこんにちはより前に出してみたものの要らないの二つ返事により失恋したのである。ポイフルとは何か。ハッキリ言ってクソなのでありグミ全体的に更地にせんとあかんのであるが僕はこのつぶグミとパインアメグミは許していこうと思うのである。
思えば両親と遠方の祖父の家に行く時は明治果汁グミを食べていたものだ。もうその思い出もこのポイフルへのチンコビンタで抹殺である。チンコビンタの際は剃毛は必須なのだ。チンコビンタ!チンコビンタ!!!
この日記がブログをはじめて最も長文なのが情けないなぁと思う。