たまに語りたくなるが既に語りすぎている

あまりにお金が僕を支配する時代は終わり、最近は距離を置いて暮らしていける気もするが、それと引き換えにかけがえのない若さが風のように過ぎ去っていった。うなされていたあの熱気や、何にだってなれる気がしたあの酩酊は、一瞬のように今は消えたウェブサイトとともに静かに眠ってしまったのだ。ログを漁ったって出て来やしない。お金は僕を支配しきれなくなったけど、支配される恐怖はまだ覚えている。ただ大人を振舞えるようになっただけ。気づけば周りは運や実力を振りかざして違う街に出かけようとしていて、アルバムを眺めているうちに僕は写真の中の僕のように小さくなってしまった。たまにやる悪ふざけや小さなクスクス話のおかげで自分の形を捉えられているのだけど、もう何にもなれないんだろうか。そろそろ人生の半分に差し掛かっていて、ゴールが見えている気にもなっている。気になっていると言ったがこのまま宝くじでもあたらない限りなにも変わらないのだ。落ち着くところまで僕は落ち着いてしまった。

 

そう思っていたら眠れなくなって、天井を見ていたらいてもたってもいられなくなった。あの時の僕は背中を押す衝動で前に進んでいたけれど、それは若さ特有の能動的な衝動だった。今からはその衝動から探さねばならない。でも、そういう思考を積み重ねたところで、ただ惰性で消耗している昼間の自分と変わらないのではないか。そう考えていること自体が自分を呪縛で閉じ込めているのではないのかと思ったときに少し外から自分を感じることができたのかもしれない。

 

自分に満足せずにこの40年を過ごして生きてきたのだ。まず自分を肯定することから初めてもいいのかもしれない。そう思って久しぶりに10年前に買ってきたノートパソコンを開いてみたら懐かしい匂いがした。毎日触るセキュリティで縛られた会社のそれとはまったく違う、白いキャンパスのような。そう思って書き始めているのがすでにあのころのようで楽しい。時間は限られているが、これからはここからまた初めて見たいと思った。