燃えよペン

久々にせっつかれてペンを取った。誰にせっつかれる訳でもなく、自分がせっついたのである。その意味でただ僕が勝手に自分をせっついたのだと言えなくもない状況ではある。
さて、最近のことだが大変冒険心に欠ける毎日だ。自分を刺激してくれる仲間たちが中年となり、どうも保守的になりつつあるのだ。これもまた家庭と世代の問題であり、我が家にその羽根を伸ばすスペースなどないのである。
これを打破すべく大体中年男性は仕事に邁進するのであるが、仕事が趣味まで腹落ちしてない自分としてはどの様に自分を消化するのかと、バックトゥーザフューチャーのスポーツ年鑑的な思いに駆られるのである。あの、男子トイレで大をしていたら上の方からタワシやクレンザーの雨が降ってくるようなギスギスした時代。念には念を入れて体育の授業の前にしっかり和式に座った体育館のトイレ。大を漏らした同級生には呼吸が出来なくなるほど追い詰めた隣組な日々。全てが奪われた僕らの自由の一つなのだ。
個人的にはもう少し地域に根付いて近くの飲み友達を増やすしかないのであるが、東京砂漠は心のオートロックを閉ざしたまま。これはもう祭に向かうしかない。うっかり受精なのだ。大震災の揺れで挿入なのか。不謹慎と言う方もいるがその通りなのだろうか。
春一番に雨雲が揺られ、湿った地面に冷たい希望が過ごす夜。500円が静かに消えていくUFOキャッチャーのホールへ、僕は青い日々を描きながら自分を掻き乱すのだ。