JOGE関係はプラマイ2-YEARSーOLD-BOY

そういえば1が1stで2が2ndで3になってから3rdとなるけどそっからthが席巻しはじめるんだよね。あれなんか最初の3人くらいがイキってるって言うか、お前らひっかけにくんなよって思っちゃうんだよなぁ。中学時代とか急に11とかくるから11stってテストにドキドキしながら書いたらバッテンですよ。教師が急に上顎に舌はさんでthだろth!みたいな。39になった今でもあの屈辱は忘れないよ。

 

んで、そんなの関係ないやとドメスティックに生きてるけど日本という社会の寛容さに助けられながら39まで何とかやってきたし、外国人実習生が編んだタオルで汗拭きながらPTA活動とかもできるくらいに大人にはなった。会社じゃSDGsだとか言ってるけど幹部がエスディージーエスとか読んでてお前thだよth!って絶対言われてたカテゴリの人なんじゃないかなとか思っちゃうんだよね。その人4桁年収貰ってるわけでやっぱり世間はよく分からないし入る会社ってすごい大事なんだなと思っちゃう。またコミュ力かよとかよく叩かれるけど2~3か月の就職活動で特権的な会社に入れるのってやっぱコミュ力ないとダメじゃないすかー。って思うのよね。旧帝なのに会話通じない奴とかに共感してる会社とかマジヤバいでしょ。なんて。

 

そんな地方文系私大と言う底辺を経て今に至る僕ですが、思うに上下関係に不安を覚えながら生きています。大体もう僕なんてベテ公の域に達しているので話がツーカーで通じるやつがもともと大好きな性格の中で新人とかつけられても困るんですよ。なんか令和卒とか言われてもヘーみたいな。ゆとりはまだ良かったんです。ゆとりいじりができたのでそこから会話って生まれるじゃん。もうその下は権利義務関係をしっかり学んだルソーみたいな人種で、おれっちみたく昭和の辛酸を舐めた世代とはもうダメなんだよね。むしろ枯れた世代の人が見てあげたりしたほうが世のため人のため。ロスジェネの最後ですよ僕ら自分の居場所もどう確保すんだみたいな時に、上みりゃバブルが詰まっててポストなんてないし下見たら鼻ほじってうるせえ奴らだけどあいつらいなくなるとポストだらけだみたいな顔してるやつがいて、ホンマ勘弁してや。そう思って観葉植物とか家に置いたりしてるんです。

 

しかしもう色々どこかあきらめて40近くなってきて、折り返しかよと考えだすと夜も眠れないわ。どうしようかなと思うけど酒も健康のために控えていて今日なんて集団接種ないから率先してインフルエンザのワクチンとか4000円払ってぶっ刺してきたよ。俺はもうパトラッシュっす。家を極限まで掃除して寝るタイプ。言いたいことなんてねえよ!とりあえず課長は年が近いから仲がいいです。

百恵ちゃんさよならコンサート

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世代どころでなくてさ、こちらが正直生まれる前にサヨナラされてしまっているのだが恐らく母親の腹の中で聴いていたのだろう。家にレコードひとつ無かったのだけれどまだ地方の中核都市と言えど近所にTSUTAYAが普及してないくらいの時代に、街の野良レンタルCD屋に行って偽物レーベルから出てるオムニバスアルバムなんかを必死に借りては聴いたりなんならCD-Rとかに焼いてやっぱデジタル世代やベースとか言いながら学生時代聴きまくってた(違法です)。そしたらなんか時代が僕に追いついて来たというかお互い周回遅れが年齢算でたまに倍数になるみたいに重なり合ってMOMOE PREMIUMなる全曲カバーとかが出て、それを買うには余りにお財布が寂しかったのでWinMXでcueファイル落として割れCD革命で復元したりしてた(マジ違法です)。そう言うお付き合いで百恵ちゃんとはマトモなお付き合いではなく、これっきりこれっきり言われそうだったけどなんとか貴方が望むなら私何をされてもいいのとストーキングして今に至るのである。そんな中、まさかNHKがBS4Kで百恵ちゃんのさよならコンサートやってて、と言うか正直に言うとやるの知っててまだかまだかと正座しながら待ってて、ホラ4Kってリアルタイムで観ると暗いじゃないですか。だからわざわざレコーダーに録画したものを1分遅れくらいでややリアルタイムで観てたんだけどやっぱ鼻血出る。当時女子人気が多かったみたいってのもなんか分かるよちょっと宝塚の男組的なそう言う感じって言うか。声低いんだよね。でもなんかたくさんが詰まってるしこのオーラはマジヤバい。百恵ちゃんが青春について語っているので少し耳を傾けて聞いてみたんだけど、昔みたいにパソコンで書いてないから書き起こし出来ないや。スピードが失われた僕の青春。最後にたった1人になったときに全然寂しさが違うんですだってさ。夜の俺かよ。

たまに語りたくなるが既に語りすぎている

あまりにお金が僕を支配する時代は終わり、最近は距離を置いて暮らしていける気もするが、それと引き換えにかけがえのない若さが風のように過ぎ去っていった。うなされていたあの熱気や、何にだってなれる気がしたあの酩酊は、一瞬のように今は消えたウェブサイトとともに静かに眠ってしまったのだ。ログを漁ったって出て来やしない。お金は僕を支配しきれなくなったけど、支配される恐怖はまだ覚えている。ただ大人を振舞えるようになっただけ。気づけば周りは運や実力を振りかざして違う街に出かけようとしていて、アルバムを眺めているうちに僕は写真の中の僕のように小さくなってしまった。たまにやる悪ふざけや小さなクスクス話のおかげで自分の形を捉えられているのだけど、もう何にもなれないんだろうか。そろそろ人生の半分に差し掛かっていて、ゴールが見えている気にもなっている。気になっていると言ったがこのまま宝くじでもあたらない限りなにも変わらないのだ。落ち着くところまで僕は落ち着いてしまった。

 

そう思っていたら眠れなくなって、天井を見ていたらいてもたってもいられなくなった。あの時の僕は背中を押す衝動で前に進んでいたけれど、それは若さ特有の能動的な衝動だった。今からはその衝動から探さねばならない。でも、そういう思考を積み重ねたところで、ただ惰性で消耗している昼間の自分と変わらないのではないか。そう考えていること自体が自分を呪縛で閉じ込めているのではないのかと思ったときに少し外から自分を感じることができたのかもしれない。

 

自分に満足せずにこの40年を過ごして生きてきたのだ。まず自分を肯定することから初めてもいいのかもしれない。そう思って久しぶりに10年前に買ってきたノートパソコンを開いてみたら懐かしい匂いがした。毎日触るセキュリティで縛られた会社のそれとはまったく違う、白いキャンパスのような。そう思って書き始めているのがすでにあのころのようで楽しい。時間は限られているが、これからはここからまた初めて見たいと思った。

じぶんちの再構築

久々に仕事以外で筆を走らせる。厳密にはFBも書けばTwitterもやるので特に語っていない訳ではないのだが。思えばブログをやってた頃はかなり自由にやってたなぁと思うのだが、今では色んな理由でそうもいかないのである。

 

実は僕は密かに誰か向けと言うのをターゲットに文を書いていて、ブログの頃はかなり当時の遠くの明るい人たちに向けて発信していた。大学生の頃だ。その頃は結構チヤホヤされてそれなりに楽しかったし友達もたくさん出来た。

 

たくさん書くつもりなのにもう眠気が。布団に入ってから書き始めたらダメだ。仕事も辛い。次はいつ書けるか。また明日。

韓国料理

やはり世代のせいか、ネトウヨのできる過程で思春期を迎えていた世代の中心におり、このいわゆる社会人になって10年以上経ち会社でいえば働き盛り、少し前なら中年、個人的には終末に近づいている僕らからしたらもう韓国料理屋に対するイメージなど地のまた地みたいな感覚なのだが、今日はキムチ汁を店員にぶつけられた隣の課長にクリーニング代は払うわ、テーブルにどんどん無料の料理は運ぶわ、最後は会計は全てタダとしてしまうわと言った対応に感動してしまった。少し前ならもう韓国など更地になれと。そんなことを思っていたのだが。まぁ元々日本な訳で困ったもんである。価値観の変化。チェンジであり、オバマなのかと思いきや個人的には共和党主流派は何処に行ったのかと、東京新聞を読みながら思うのである。多分一生出てこないのであり、睾丸は大きくなった。

燃えよペン

久々にせっつかれてペンを取った。誰にせっつかれる訳でもなく、自分がせっついたのである。その意味でただ僕が勝手に自分をせっついたのだと言えなくもない状況ではある。
さて、最近のことだが大変冒険心に欠ける毎日だ。自分を刺激してくれる仲間たちが中年となり、どうも保守的になりつつあるのだ。これもまた家庭と世代の問題であり、我が家にその羽根を伸ばすスペースなどないのである。
これを打破すべく大体中年男性は仕事に邁進するのであるが、仕事が趣味まで腹落ちしてない自分としてはどの様に自分を消化するのかと、バックトゥーザフューチャーのスポーツ年鑑的な思いに駆られるのである。あの、男子トイレで大をしていたら上の方からタワシやクレンザーの雨が降ってくるようなギスギスした時代。念には念を入れて体育の授業の前にしっかり和式に座った体育館のトイレ。大を漏らした同級生には呼吸が出来なくなるほど追い詰めた隣組な日々。全てが奪われた僕らの自由の一つなのだ。
個人的にはもう少し地域に根付いて近くの飲み友達を増やすしかないのであるが、東京砂漠は心のオートロックを閉ざしたまま。これはもう祭に向かうしかない。うっかり受精なのだ。大震災の揺れで挿入なのか。不謹慎と言う方もいるがその通りなのだろうか。
春一番に雨雲が揺られ、湿った地面に冷たい希望が過ごす夜。500円が静かに消えていくUFOキャッチャーのホールへ、僕は青い日々を描きながら自分を掻き乱すのだ。

ゲス不倫

ゲスの極み乙女。の曲は騒動以前は大変好んでカラオケで歌っており、それなりに盛り上がるので重宝しておったのだが、今となってはネタ曲であり、うっかり女子が静かになるタイプのカテゴリーとなってしまい少々困っている。思えば若い男性アーティストの歌など最近専ら聴く機会がなく、女性の、新進気鋭な、アイドル、ともう少し大人になれよお前、とツッコミたくなる部類の楽曲ばかりが僕のiPhoneを埋め尽くしている。iTunesに意思があって僕を洗脳しようとしているとしか思えない。これは一種の詐欺のようなものだ。訴えねばならず。
そんな事を思いながら椎名林檎のLIVEがWOWOWでやっていたので観たのだがアレはもはや総合芸術でありLIVEにどんだけカネかけているのか、元は取れるのかと不安になるのである。DVDと放映料でトントンなのでは。まぁそれでもいいのかもしれません。
脳性麻痺の次男を44年介護し続けた80近い母親が、家族の将来を案じて首を絞めて殺したと言う事件があって、裁判官は実刑を下したとのこと。執行猶予はつかず。しかし懲役とは言え毎日の介護よりは少しは安寧な生活が彼女に訪れるのだろうか。懺悔の念に苛まれながら。人が生きると言うのは難しいがしかしこういうことについてレベルの低いところに僕は生きてるなぁと思う。金持ちになったらそれは何とかなるのだろうか。国に押し付けたらそれで良いのだろうか。人間みんなずっと健康ではないのである。
しかし川谷が不倫していなければ数人の人達はゲスなどと言われなかったであろうことは明らかで、桂一門は大変な時に発覚したなぁと思う。新婚が今後もいらっしゃればいいのだが。